坂本城 明智光秀が築城した 幻の名水城

坂本城(滋賀県大津市)は、戦国時代を象徴する武将・明智光秀によって築かれた「幻の名城」です。琵琶湖のほとりにそびえ立ち、当時は安土城に次ぐ天下の名城とうたわれました。現在はそのほとんどが琵琶湖の底や住宅街の下に眠っていますが、歴史ファンにとっては光秀の全盛期を感じさせる非常にロマンあふれるスポットです。

坂本城 幻の名水城

坂本城の歴史

築城の背景:比叡山焼き討ちと光秀の台頭

1571年、織田信長による比叡山焼き討ちの後、近江国(現在の滋賀県)の支配を任されたのが明智光秀でした。光秀は比叡山延暦寺を監視し、かつ琵琶湖の水運を掌握するための拠点として、1571年後半から1572年にかけて坂本城を築きました。

城の特徴:「水城」としての美しさと機能

坂本城は、琵琶湖の水を引き込んだ「水城(みずき)」の先駆けです。

  • 豪華絢爛: 宣教師ルイス・フロイスが「安土城に次ぐ美しさ」と記すほど、豪奢な瓦や石垣が使われていました。

  • 戦略的立地: 大天守と小天守を持ち、城内に直接船が入り込める構造になっていたため、物流と軍事の両面で非常に強力でした。

歴史の転換点:山崎の戦いと落城

坂本城の黄金時代は、1582年の本能寺の変によって終わりを迎えます。

  1. 光秀の敗北: 山崎の戦いで羽柴(豊臣)秀吉に敗れた光秀は、坂本城を目指して逃走する途中で亡くなります。

  2. 悲劇の結末: 城を守っていた光秀の従兄弟・明智左馬助(秀満)は、秀吉軍に包囲されると、城内の秘蔵の宝物を敵に渡した(文化財を失わせないための配慮とされる)後、一族とともに火を放って自害しました。これにより、初代坂本城は焼失しました。

再建と廃城

その後、丹羽長秀によって再建されましたが、長くは続きませんでした。

1586年、豊臣秀吉の命により、拠点が近くの大津城へ移されることになります。坂本城の資材(石垣や門)の多くは大津城の建設に転用され、坂本城は惜しまれつつも廃城となりました。


現在の坂本城:琵琶湖に眠る遺構

現在は開発が進み、地上に当時の姿を見ることはほとんどできませんが、歴史ファンにはたまらないスポットが点在しています。

  • 1571(亀元 2年):明智光秀、宇佐山城に入る。比叡山延暦寺焼討ち後、織田信長の命によりこの地に築城と滋賀郡を任される。
  • 1572(亀元 3年):明智光秀、坂本城を築城。
  • 1580(天正 8年):坂本城普請(改修)。
  • 1582(天正10年):本能寺の変。その後、山崎の合戦で明智光秀は敗死。坂本城落城。
  • 1583(天正11年):本能寺の丹羽長秀が坂本城を再建。浅野長吉が城主となる。
  • 1586(天正14年):城を大津に移す。

見どころ

坂本城址公園: 明智光秀の像が立ち、歴史を偲ぶことができます。

湖底の石垣: 琵琶湖の水位が下がった時だけ、かつての石垣が姿を現すことがあります(ニュースになることも多いです)。

坂本城跡公園からアクセス

坂本城本丸

キーエンス社の敷地になっているため入る事が出来ません。

西教寺

山の方にはなれていますが、明智一族の菩提寺。坂本城の総門が移築されているほか、光秀の供養塔があります。

坂本城跡縄張り推定図

織田信長と家臣による琵琶湖周辺の主要城郭

場所(坂本城址公園)

〒520-0105 滋賀県大津市下阪本3丁目1

拝観時間

24時間何時でも利用可能
※駐車場(無料) 24時利用可能

公共機関利用アクセス方法

1. バスを利用する場合(おすすめ)

JR大津駅や京阪の主要駅からバスを利用するのが一般的です。

  • JR大津駅から

    • 江若(こうじゃく)バス「浜大津線」に乗車(約20分)。

    • 「石川町」または「下阪本」バス停で下車し、徒歩約2〜3分。

  • JR比叡山坂本駅から

    • 江若バス「浜大津線」に乗車。

    • 「石川町」バス停で下車し、徒歩約2分。

2. 電車(徒歩)を利用する場合

最寄り駅から徒歩で行くことも可能ですが、少し距離があります。

  • 京阪 石山坂本線「松ノ馬場駅」から:徒歩約16分

  • JR 湖西線「比叡山坂本駅」から:徒歩約19分

  • 京阪 石山坂本線「穴太(あのう)駅」から:徒歩約20分

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です