織田信長公 眠る蓮台山 阿弥陀寺(京都市上京区)

織田信長公 眠る阿弥陀寺(上京区寺町通にある浄土宗の寺院) 「本能寺の変」後、住職が信長公の遺骸を持ち帰り埋没した伝えられているお寺

織田信長公 眠る阿弥陀寺

阿弥陀寺

創建と初期:蓮台野から寺町へ

阿弥陀寺は、**天文年間(1532年~1555年)**に浄土宗の僧侶、**玉誉清玉(ぎょくよ せいぎょく)**によって、当初は近江国坂本(現在の滋賀県大津市)に開かれました。清玉は念仏の教えを広め、多くの人々の帰依を得ました。

その後、清玉は織田信長の知遇を得て、**弘治元年(1555年)に京都へと移り、蓮台野に近い芝薬師町(現在の今出川大宮付近)に寺基を構えました。この地は、古くから葬送の地であった蓮台野に近かったため、寺は蓮台山(れんだいさん)**と号しました。

勅願寺としての隆盛

阿弥陀寺は、その徳の高さから朝廷の尊崇を受け、**永禄年間(1558年~1570年)**には正親町天皇の勅願所となりました。これにより、寺格は向上し、多くの寺領や寺宝が寄進されました。**元亀元年(1570年)**には、正親町天皇の綸旨を受け、伽藍の整備が進められました。

本能寺の変と織田信長との深い繋がり

本能寺の変と織田信長との深い繋がり

阿弥陀寺の歴史において、最も重要な出来事の一つが天正10年(1582年)の本能寺の変です。織田信長が家臣の明智光秀によって討たれた後、住職の玉誉清玉は、焼け跡となった本能寺から信長の遺灰を密かに持ち帰り、阿弥陀寺に手厚く葬りました。

この出来事により、阿弥陀寺は一躍、織田信長の菩提寺としての地位を確立しました。信長の嫡男である織田信忠も二条新御所で討たれましたが、その遺骨も後に阿弥陀寺に納められに葬られました。

清玉は、信長父子だけでなく、本能寺の変で亡くなった多くの家臣たちの供養も丁寧に行いました。境内には、森蘭丸をはじめとする120余名もの殉死者の墓が建立され、主君のために命を落とした人々の魂を慰めています。

豊臣秀吉による寺町移転

天正15年(1587年)、豊臣秀吉による京都の都市改造の一環として行われた寺町造成により、阿弥陀寺は現在の地、上京区寺町通今出川上ルへと移転しました。この際、信長、信忠の墓、そして多くの殉死者の墓も共に移されました。寺町という新たな場所に移転しても、阿弥陀寺は織田家ゆかりの寺として、その存在感を保ち続けました。

江戸時代から現代へ

江戸時代に入ると、阿弥陀寺は浄土宗四十八願寺の第十六番に数えられ、多くの人々の信仰を集めました。境内には多くの塔頭が建立され、寺勢は隆盛を極めましたが、時代の変遷とともにその数は減少しました。

現在、阿弥陀寺は通常非公開となっていますが、毎年6月2日の信長忌には特別に境内が公開され、信長や本能寺の変に関する寺宝などが展示されます。これらの寺宝は、当時の様子を今に伝える貴重な資料となっています。

境内には、織田信長公本廟をはじめ、信長が使用したとされる槍先、明智光秀の書状、清玉が記した戦死者名簿など、歴史的な価値の高いものが数多く残されています。また、俳聖松尾芭蕉の句碑や、阿弥陀寺の住職であった幻阿蝶夢の句碑、儒学者皆川淇園の墓など、文化人ゆかりの史跡も点在しています。

明治時代には、信長の墓が「織田信長公本廟」として公認され、その歴史的な重要性が改めて認識されました。

駒札

蓮台山と号する浄土宗の寺院で、本尊は丈六の阿弥陀如来である。当寺は天文年間(1532~1554)清玉上人の開創になり当初は西ノ京蓮台野芝薬師西町(現在の今出川大宮東)に八町四方の境内と塔頭十一ヶ寺を構えていた、また当時 正親町天皇は清玉上人に深く帰依し、東大寺大仏殿の勧進職を命じるとともに、当寺を勅願所とされた。

清玉上人は織田家と深い親交があり、天正十年(1582)六月二日の本能寺の変の折 本能寺等にかけつけ織田信長、信忠父子及び家臣百有余名の遺骸を当寺に埋没したといわれる。

本堂には織田信長、信忠父子の木造等が安置され、墓地には信長、信忠や本能寺の変討死衆の墓、儒者皆川淇園、俳人蝶夢の墓等がある。京都四十八願寺巡拝の十六番札所でもある当寺は、天正十五年(1587)蓮台からこの地に移され、現在に至る。

京都市

見所1 本堂

本堂には織田信長公と息子、信忠公の木造が安置されています。こちらの木造は普段は非公開となっており、毎年6月2日(本能寺の変が起った日)に信長公信忠公を供養する法要(信長忌)が執り行われる際に、一般公開されている。

見所2 織田信長公墓石

本堂左がわ阿弥陀寺本坊前を通り抜けて行くと織田信長公の墓石があります。

右側が織田信長公、左側が信長の息子・信忠公の墓石

見所3 織田祖先の墓石

織田家子孫の方々も、毎年この阿弥陀寺の墓所を訪れて、ご先祖様を供養されているようでした。

見所4 森蘭丸など家臣の墓石

左から森蘭丸・森坊丸・森力丸の墓石

森光子さんの墓石

墓地中央付近に森光子さんの墓石があります。本名村上さんだったんですね

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場所情報

京都府京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町14

アクセス方法

拝観時間:9:00~16:00

京阪電車:「出町柳駅」から徒歩約11分 850m

市営地下鉄烏丸線「今出川駅」から徒歩約14分 1.1km

市営バス:205系統 葵橋西詰 徒歩7分 600m

駐車場あり(無料)

まとめ

阿弥陀寺は、戦国時代の終焉という激動の時代を背景に、織田信長という稀代の武将との深い繋がりを持ち、その菩提寺として歴史を刻んできた寺院です。現在も、その静かな佇まいの中に、当時の人々の思いや歴史の重みが息づいています。

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