阿弥陀ヶ峰・豊国廟 豊臣秀吉 眠る墓所
阿弥陀ヶ峰の山頂に位置する豊国廟(ほうこくびょう)は、天下人・豊臣秀吉公が眠る墓所です。秀吉の遺言により、遺体は東山の阿弥陀ヶ峰に埋葬されたとされる墓地になります。また、頂上からの一望できる景色も絶景です。
阿弥陀ヶ峰・豊国廟

阿弥陀ヶ峰・豊国廟
京都の東山に位置する阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)と、その山頂にある豊国廟(ほうこくびょう)は、天下人・豊臣秀吉が眠る墓所です。豊臣家の栄枯盛衰と、徳川幕府による徹底した歴史の抹消、そして明治時代の劇的な復活という、まさに豊臣家の歴史そのものを象徴する場所です。

阿弥陀ヶ峰・豊国廟 歴史
豊臣秀吉の最期の願いと「豊国大明神」
1598年に伏見城で没した秀吉は、遺言により東山の阿弥陀ヶ峰に葬られました。
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神格化: 秀吉は死後、後陽成天皇から「豊国大明神(とよくにだいみょうじん)」という神号を与えられ、神として祀られました。
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壮麗な廟所: 山頂に墓を、山腹(現在の太閤坦(たいこうだいら)付近)には豪華絢爛な社殿「豊国社(とよくにのやしろ)」が築かれました。当時は現在の豊国神社よりもはるかに広大で、京内でも屈指の規模を誇りました。
徳川幕府による「歴史の抹消」
1615年、大坂の陣で豊臣家が滅亡すると、徳川家康の手によって豊国社は徹底的に破壊されます。
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廃祀と放置: 神号は剥奪され、社殿は壊されました。参道も閉鎖され、秀吉の墓所は人々の記憶から消し去られるよう放置されました。
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「馬塚」の隠れ蓑: 秀吉を慕う人々は、直接参拝できない代わりに、麓にある五輪塔を「馬塚(うまづか)」と呼んで、密かに秀吉を拝んだと伝えられています。
明治時代の復活と再建
明治時代に入ると、徳川幕府を倒した明治政府によって、秀吉は「日本を一つにまとめた英雄」として再評価されます。
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明治天皇の勅命: 1868年、明治天皇の命により豊国神社の再興が決定。現在の位置(方広寺大仏殿跡地近く)に社殿が再建されました。
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秀吉のミイラ発見: 1898年(明治31年)、秀吉の没後300年を記念した整備の際、山頂の古い墳墓が発掘されました。そこからは、西(京都御所や西方浄土の方向)を向いて座った状態でミイラ化した秀吉の遺骸が発見されたと伝えられています。
阿弥陀ヶ峰・豊国廟 見どころ

五輪塔
現在の阿弥陀ヶ峰山頂には、建築家・伊東忠太のデザインによる高さ約10メートルの巨大ながそびえ立っています。
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500段の石段: 麓から山頂の墓所までは、一直線に伸びる約500段の厳しい石段が続いています。
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歴史の目撃者: 登り切った先にある静寂な空間は、豊臣家の興亡を見守ってきた歴史の重みを感じさせます。
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驚愕の発見: 明治31年(1898年)、秀吉没後300年を記念した整備工事の際、山頂から素焼きの壺に入った秀吉の遺骸が発見されました。
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遺体はミイラ化しており、西(阿弥陀如来の浄土の方向)を向いて座った状態で埋葬されていたと言われています。
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発見後、遺骸は再び丁寧に埋葬し直され、その上に現在の巨大な石造五輪塔が建てられたと伝えられています。
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山頂・五輪塔の左側(清水寺を一望)

山頂にある巨大な石造五輪塔(秀吉の墓所)に向かって左手側に進むと、視界が開けるポイントがあります。
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清水寺を俯瞰: 「清水の舞台」や「三重塔」を真横〜やや上から見下ろす形で撮影できます。
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京都市街のパノラマ: 京都タワーをはじめ、市街地を一望できます。空気が澄んでいれば、遠く大阪のビル群(あべのハルカスなど)まで見えることがあります。
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五山の送り火: 障害物が少なく、「大文字」「妙法」「船形」「左大文字」の4つが同時に見られる穴場としても有名です。
延々と続く石段「天国への階段」

一段一段が急で、遥か上方の山頂(阿弥陀ヶ峰)に向かって真っ直ぐに伸びている様子が、空へ吸い込まれるように見えることから、参拝者の間では「天国への階段」と呼ばれたいます。
阿弥陀ヶ峰の象徴ともいえるのが、まっすぐ空に向かって伸びる長い石段です。
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下から見上げる: 拝殿から山頂へ続く石段は、両脇の木々がトンネルのようになり、非常に神秘的な場所です。
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上から見下ろす: 登りきった後、振り返って見下ろすと、その急勾配と緑の美しさが際立ちます。


太閤坦(たいこうだいら)
石段の途中に広がる平坦な広場です。かつて豊国神社の本殿があった場所です。
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西向きの展望: 山頂まで登らなくても、ここから京都盆地の南西方向、男山や天王山方面を見渡すことができます。



一説によると秀吉遺体がここに埋葬されていたと伝えられています。
豊臣国松(秀頼の嫡男)の供養塔

豊国廟の広大な敷地内(参道の脇や周辺の寺院など)には、秀頼や淀殿と共に、国松を供養する五輪塔や碑がひっそりと安置されています。

国松は、豊臣秀頼の側室の子として1608年に生まれました。
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大坂夏の陣: 1615年、大坂城が落城。父・秀頼と祖母・淀殿は自害しましたが、わずか8歳の国松は、乳母らと共に城を脱出しました。
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最期: 伏見の潜伏先で見つかり、京都の六条河原で処刑されました。これにより、秀吉の直系の男子の血筋は途絶えることとなりました。

豊国廟の拝殿(ふもと)
石段を登る前の入り口付近です。
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新緑・紅葉: 参道や拝殿周囲は木々が多く、特に秋の紅葉シーズンは朱色の門や石灯籠と相まって非常にフォトジェニックです。
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萩(ハギ): 隠れた萩の名所でもあり、秋の初めには社務所付近で美しい花を楽しめます。





「女坂(おんなざか)」
豊国廟の入り口(太閤坦)へと続く智積院横の坂道は、京都女子大学への通学路となっていることから「女坂」と呼ばれています。※平日の日中は女性だけの坂道となっています。

場所情報
〒605-0926 京都府京都市東山区今熊野北日吉町
駐車場


坂を下がった左手に料金場があるのでそこで500円支払い下さい。
アクセス方法場
1. バスを利用する場合(最も一般的)
京都市営バスを利用し、「馬町(うままち)」または「東山七条」バス停で下車します。そこから豊国廟の登り口(太閤坦)まで徒歩で向かいます。
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京都駅から:
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市バス 206系統(東山通・北大路バスターミナル行き)
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市バス 208系統(九条車庫行き)
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「東山七条」**下車、徒歩約15分で登り口へ。
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四条河原町・祇園方面から:
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市バス 207系統(東寺方面行き)
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「馬町」下車、徒歩約15分で登り口へ。
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2. 電車を利用する場合
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京阪本線「七条駅」から:
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東へ徒歩約20分〜25分。女坂(阿弥陀ヶ峰参道)を上がり、京都女子大学方面を目指します。
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到着後の注意点
豊国廟は阿弥陀ヶ峰の山頂付近にあり、登り口(太閤坦)から拝所(墓所)までは約500段近くの急な石段を登る必要があります。
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所要時間: 石段の往復だけで20分〜30分ほどかかります。
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準備: かなり体力を使うため、歩きやすい靴での参拝を強くおすすめします。
拝観時間
拝観時間
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8:30 ~ 17:00
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※一部の案内では16:00や16:30終了となっている場合もあります。石段の上り下りに時間がかかるため、遅くとも16:30までには到着しておくのが安心です。
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定休日: 無休
拝観のポイント
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登拝料: 200円(石段手前の料金箱に納めます)
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所要時間: 往復で約30分〜45分

問合せ先
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管理元: 豊国神社(京都市東山区茶屋町530)
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電話番号: 075-561-3802





