奈良県大和郡山市にある「大納言塚(だいなごんづか)」は、豊臣秀吉の弟であり、大和郡山を治めた豊臣秀長(大和大納言)の墓所です。豊臣秀長は、豊臣政権の「調整役」として兄・秀吉を支え続けましたが、天正19年(1591年)に大和郡山城内で病没しました。当時は、自分が治めていた領国や居城の近くに埋葬されるのが一般的であり、秀長もまた、自らが礎を築いた大和郡山の地に眠ることになりました。また、地元では「大納言さん」と親しまれており、秀長が人生の最期を過ごし、心血を注いで治めた大和郡山への愛着と、彼を失った秀吉の深い悲しみ、そして地元の人々の敬意が重なって守られてきた場所だと伝えられています。