明智光秀胴塚 明智光秀の遺体が埋葬されたと伝えられている場所

明智光秀の遺体が埋葬された場所と伝えられている場所、深傷を負った光秀が家臣に命じて首を切らせ、遺骸をこの地に埋めたとされている場所。

明智光秀胴塚

目次

明智光秀胴塚(歴史)

明智光秀は近江の坂本城をめざして逃れます。その途中、伏見区小栗栖小阪町の竹藪(通称「明智藪」)で農民からの襲撃され、竹藪から突き出された竹槍に刺されて重傷を負い、その場で自害し、家臣に首を打たせたと伝わっています。

その際、光秀の首は介錯をした家来によって隠されたといわれており、東山区梅宮町に首を埋葬したと伝える「首塚」があります。

また、「明智藪」近くのこのあたりに、光秀の遺体(胴体)が埋葬された「胴塚」があったと伝えられています。この石碑は、こうした伝承を伝えるため、昭和45年(1970)10月に、地元山科の有志によって建立されたものです。

こちらは昭和30年頃明智胴塚

昔は田の中にあったようだ。言い伝えによると、深傷のため遂に起つことができず家臣に命じて首を切らせ、遺骸をこの地に埋めたとされている。
江戸時代の元禄(1688~1704) に成立した『明智軍記』などにより「明智藪より北へ三町の辺りで自決した」という話が広まり、後世建てられた供養塔と考えられている。

明智光秀胴塚の立て札

また、明智胴塚からさらに北へ300メートル行くと、光秀の乗馬を埋めたところと伝えられる、明智馬塚跡があるとされるが、現在貯水池になっている。戦前にこの場所を掘ったところ、馬の骨が出てきたそうです。

場所情報

〒607-8218 京都府京都市山科区勧修寺御所内町53−1
※粟津農園 

アクセス方法

電車

地下鉄醍醐駅から徒歩15分 1,2Km

地下鉄小野駅から徒歩10分 700m

明智藪から徒歩22分    1.8Km

少しの時間でしたら、止められそうです。※近隣の方に迷惑にならないように止めてください。

まとめ

明智光秀の最期を偲ぶ場所として、歴史ファンがよく訪れられる場所です。

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