大納言塚 豊臣秀長終焉の地
奈良県大和郡山市にある「大納言塚(だいなごんづか)」は、豊臣秀吉の弟であり、大和郡山を治めた豊臣秀長(大和大納言)の墓所です。豊臣秀長は、豊臣政権の「調整役」として兄・秀吉を支え続けましたが、天正19年(1591年)に大和郡山城内で病没しました。当時は、自分が治めていた領国や居城の近くに埋葬されるのが一般的であり、秀長もまた、自らが礎を築いた大和郡山の地に眠ることになりました。また、地元では「大納言さん」と親しまれており、秀長が人生の最期を過ごし、心血を注いで治めた大和郡山への愛着と、彼を失った秀吉の深い悲しみ、そして地元の人々の敬意が重なって守られてきた場所だと伝えられています。
大納言塚

大納言塚の紹介

奈良県大和郡山市にある「大納言塚」は、豊臣秀吉の弟であり、大和郡山100万石の礎を築いた武将 豊臣秀長の墓所です。兄・秀吉を陰で支え、「豊臣政権の調整役」として高く評価された秀長が眠る場所です。
豊臣秀長と大納言塚の由来
豊臣秀長は、秀吉の弟として、政務・軍事の両面で兄を支えました。天正13年(1585年)に大和郡山城に入城し、現在の郡山城や城下町の基礎を築いた名君として、今も市民から「秀長さん」と親しまれています。
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名前の由来: 秀長の最終的な官位が「権大納言(ごんのだいなごん)」であり、「大和大納言」と呼ばれていたことから、その墓所は大納言塚と呼ばれるようになりました。
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没年: 天正19年(1591年)1月22日、秀長は郡山城内で病死しました。享年52歳(満50歳)でした。
荒廃と再興の歴史
秀長の死後、大納言塚は時代の波に翻弄されます。
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当初: 秀吉は弟のために、墓所の近くに大光院という菩提寺を建てて手厚く供養しました。
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荒廃: 豊臣家が滅びた後、大光院は京都(大徳寺)へ移され、管理者がいなくなった墓所は次第に荒れ果て、小さな土塊のような状態になってしまいました。
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再興(江戸時代): 江戸時代後期の安永6年(1777年)、秀長の位牌を守っていた春岳院の僧侶たちが、地元の町衆(郡山町中)と協力して墓地を整備しました。この時、現在も見ることができる高さ約2mの五輪塔が建立されました。
現在の大納言塚と信仰
現在、大納言塚は静かな住宅街の中にあり、市の指定文化財(史跡)となっています。
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五輪塔: 表面には秀長の戒名「大光院殿前亜相春岳紹栄大居士」が刻まれています。
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お願いの砂: 塚の入り口には「お願いの砂」があります。砂を穴に3回通しながら願い事をすると叶うと言われており、今でも参拝者が絶えません。
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大納言祭: 毎年4月には、秀長の遺徳を偲ぶ法要が営まれています。
大納言塚のみどころ

巨大な五輪塔(ごりんとう)
墓所の中心には、高さ約2mの立派な五輪塔が鎮座しています。
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歴史的背景: 秀長の死後、一度は荒廃しましたが、江戸時代の安永6年(1777年)に地元・郡山の町衆や僧侶たちの尽力によって再建されました。
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刻銘: 塔の表面には秀長の戒名「大光院殿前亜相春岳紹栄大居士」が刻まれています。

「お願いの砂箱」
門の前に置かれている石の箱で、ユニークな願掛けができます。
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方法: 箱の中に砂が入っており、名前と願い事を唱えながら、砂を穴に3回通すと願いが叶うと言われています。
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由来: 江戸時代、この地の砂を借りて帰り、願いが叶ったら返却するという風習があった名残です。


「五三桐」と「箱本」の紋
五輪塔の台座や門などに注目してみてください。
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豊臣家の家紋である「五三桐(ごさんのきり)」とともに、秀長が整備した自治組織の象徴である「箱本(はこもと)」の文字が見られます。秀長がいかにこの街の基礎を築いたかが伝わってきます。
閑静な佇まいと地元の方の熱意
住宅街の中にひっそりと佇む、白壁に囲まれた空間は独特の静寂があります。
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今でも毎年4月22日には「大納言祭」が開催され、地元の方々によって大切に守られています。秀長が「名宰相」として今もなお慕われていることを肌で感じられる場所です。
大納言塚 参拝方法


「お願いの砂箱」でのお参り方法
大納言塚の門前には「お願いの砂箱」という石造りの箱が設置されています。秀長公に願い事を聞いてもらうための、この地ならではの風習です。
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お礼を伝える
まずは門前で、今日お参りに来られたことへの感謝を伝えます。
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砂を穴に通す(3回)
砂箱の蓋を開け(蓋が重いので注意してください)、中にある砂を手に取ります。
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名前と願い事を唱える
「自分の名前」と「願い事」を心の中で唱えながら、砂を石の穴に3回通します。
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合掌・礼拝
最後に手を合わせ、お参りを締めくくります。
お参りの際の注意点
- 静かに参拝: 住宅街の中にある静かな墓所です。周囲への配慮を忘れずに、穏やかな気持ちでお参りしましょう。
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御朱印について: 大納言塚そのものは無人の墓所ですが、近くの「柳澤神社(郡山城跡内)」などで、秀長公に関連した御朱印や記念品が扱われることがあります。

場所情報
〒639-1015 奈良県大和郡山市箕山町14−8
アクセス方法
共交通機関を利用して行く場合、近鉄郡山駅、またはJR郡山駅から徒歩、もしくはバスを利用するのが一般的です。
近鉄電車を利用する場合(おすすめ)
近鉄郡山駅が最寄りとなり、そこから徒歩で向かうのが最もスムーズです。
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最寄り駅: 近鉄橿原線 「近鉄郡山駅」
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徒歩ルート: 駅の西出口から西へ約10分〜15分(約800m)。
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駅西側の賑やかな商店街を抜け、閑静な住宅街へ向かって歩きます。
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JRを利用する場合
JR郡山駅からは少し距離があるため、徒歩またはバス移動になります。
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最寄り駅: JR大和路線(関西本線) 「郡山駅」
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徒歩ルート: 駅から西へ約20分〜25分(約1.5km)。
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バス利用: JR郡山駅から奈良交通バス「近鉄郡山駅」行きなどに乗り、近鉄郡山駅で下車して徒歩、または「郡山市役所」停留所から歩くことも可能です。
バスを利用する場合
大和郡山市のコミュニティバス「元気城下町号」なども利用できます。
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停留所: 「郡山市役所」または「城址公園(郡山城)」付近で下車し、そこから徒歩約5〜10分。
車を利用して行く場合は、近くの有料駐車場を利用するか大和郡山城から徒歩(10分ほど)で行かれる事をお勧めします。
※有料駐車場は狭い路地にありますのでご注意下さい。
拝観時間
大納言塚は、一般的な寺院のような「開門・閉門」の時間設定が特になく、いつでも自由に見学(参拝)が可能です。
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拝観時間: 24時間開放(夜間は暗いため、明るい時間帯の訪問をおすすめします)
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休業日: なし(年中無休)
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拝観料: 無料
訪問のアドバイス
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おすすめの時間帯: 住宅街の中にあり、周囲に高い建物が少ないため、日の出ている時間帯であればいつでも落ち着いて見学できます。
まとめ
大納言塚から徒歩圏内に、秀長公ゆかりの場所がいくつかありますので一緒に行かれる事をお勧めします。
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郡山城跡: 秀長が築城した大和国の中心拠点です。
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春岳院: 秀長の菩提寺で、位牌が安置されています(大納言塚のすぐ近くです)。





