【三光神社】真田幸村ゆかりの地 大坂冬の陣 真田丸があったとされる伝承の場所!

大阪市天王寺区にある神社。かつてこの地に真田丸があったとされる、真田幸村(信繁)ゆかりの地とされている。また、大阪七福神めぐりの寿老人を祀る神社のとして①最初の神社として有名です。また境内には、真田丸から大阪城へと続くと言われる「真田幸の抜け穴」があり、その横に真田幸村の像が建つ。ご利益:家内安全、商売繁昌、土地家屋清祓い、交通安全、夫婦和合、縁結び、中風除け、長寿

三光神社

三光神社

大阪市天王寺区の丘陵(上町台)真田山に鎮座し昔は姫山神社(大昔の姫の松原の遺称)と称したが、全国的には真田山の三光の名称の方がよく知られ今では三光神社となった。創立は仁徳天皇から三代後人皇十八代反正天皇の御宇と言い伝えられ創建以後神職として奉仕された武内宿弥の末裔武川氏(八十六代)にして今に至ると言う。


三光の由来は、天照大神、月読尊、素戔嗚尊の神々を祀っているからです。

三光神社は、桜の名所としても知られています。境内には約300本の桜が植えられており、春になると見事な花を咲かせます。

真田幸村(信繁)ゆかりの地

三光神社がある丘は、大阪城の出城・真田丸があった場所とされる、社殿下には大阪城までの抜け穴を掘ったとされる真田幸村の抜け穴があります。かつては三光神社以外にも8つほどの横穴があったと記録されているが、危険だとゆうこうで多くは埋められたそうです。

真田幸村が掘ったとされる抜け穴があります。この抜け穴は、大坂城から真田丸まで通じており、大坂の陣の際に真田幸村が使用したと伝えられています。 抜け穴は、普段は鍵がかかっていますが、毎年11月の真田祭りの際には開放されます。

真田幸村は、戦国時代末期の武将です。徳川家康の天下統一に抵抗した豊臣方の武将として活躍し、大坂の陣では奇襲攻撃を仕掛けて徳川軍を苦しめました。しかし、最後は敗れて戦死しました。

真田の抜け穴

真田幸村は複数あった抜け穴から神出鬼没に現れ、徳川軍を翻弄したと言われている。

鉄の扉には真田家の家紋、六文銭が彫られている


ただし、真田の抜け穴伝説は信ぴょう性に乏しく、現在の研究では徳川勢が戦略上つくったものだとする説もある。確かな話は不明である。

高低差を利用した真田丸

高低差のある丘として攻撃しやすく、守りやすい出城だった様です。

大阪七福神めぐり


寿老人が祀られています。

その他の見どころ

境内には、真田の鎧、真田幸村・猿飛佐助になれる写真用パネルなどがあります。

場所情報&アクセス方法

場所情報

〒543-0013 大阪府大阪市天王寺区玉造本町14−90

アクセス方法

  • Osaka Metro長堀鶴見緑地線「玉造駅」より 徒歩2分
  • JR大阪環状線「玉造駅」より 徒歩5分

お問合せ先

  • 三光神社
  • ☎06-6761-0372
  • 英城時間、10:00~15:00

まとめ

真田幸村は、その戦略的・戦術的才能と、勇猛果敢な戦いぶりで、今なお多くの人々に愛されています。三光神社は、真田幸村の歴史とゆかりを感じることができるスポットです。大坂を訪れる際には、ぜひ訪れてみてください。

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