二年坂 京都を訪れる誰もが一度は足を運びたい坂道

二年坂は、京都を訪れる人なら誰もが一度は足を運びたい、風情あふれる石畳の坂道です。清水寺への参道の一部であり、その歴史的な街並みと、両側に並ぶ伝統的な京町家、そして個性豊かなお店が魅力です。

二年坂

目次

二年坂の由来

二年坂の正式名称は「二寧坂」ですが、一般的には「二年坂」と呼ばれる方が一般的です。この名前の由来には諸説ありますが、一つには、この坂が三年坂(産寧坂)よりも下にあることから「二年坂」と呼ばれるようになったという説があります。

また、この坂には「ここでつまずくと2年以内に死ぬ」という言い伝えがありますが、これは石段坂道は気を付けて歩くようにという警句が変化したものと考えられています。

二年坂の歴史

  • 804年以前からの呼び名: 平安時代前期の804年以前からすでに「二寧坂」と呼ばれていたという説があります。
  • 埋葬地「鳥辺野」との関係: 一説には、この坂がかつての埋葬地「鳥辺野」に通じていたために生まれた伝説が語源とも言われています。
  • 「転ぶと2年以内に死ぬ」という言い伝え: この言い伝えは、「石段坂道は気を付けて」という警句が語り伝えられたものと考えられています。

二年坂の魅力

  • 石畳の道: 石畳の道は、京都らしい風情を感じさせてくれます。
  • 町家: むしこ造りや本二階建の町家が軒を連ね、歴史を感じさせます。
  • フォトスポット: 大正の香りを残す風情ある道として、多くの写真愛好家も訪れます。

二年坂の見どころ

竹久夢二の寓居の跡

二年坂と竹久夢二:大正ロマンが花開いた場所
二年坂は、京都の風情が色濃く残る美しい坂道として知られていますが、実は大正ロマンを代表する画家、竹久夢二とも深い関わりがある場所なのです。

夢二の京都での生活
大正時代、竹久夢二は東京を離れ、しばらく京都で生活を送りました。その間、二年坂の石段を下りた場所に寓居を構えていたのです。夢二が京都で過ごした日々は、彼の作品に大きく影響を与え、多くの美しい作品が生まれたと言われています。

夢二と愛人・彦乃との日々
特に、愛人であったお妾さんの彦乃との別れを惜しみ、京都で再会し、短いながらも幸せな日々を過ごしたことが知られています。二年坂の寓居は、そんな二人の愛の巣として、そして夢二の創作活動の場として、重要な役割を果たしました。

二年坂に残る夢二の足跡
現在、二年坂には竹久夢二寓居跡を示す標識があり、当時をしのぶことができます。また、二年坂周辺には、夢二が愛した風景や、彼が訪れた店などが数多く残されており、夢二ゆかりの地として多くのファンが訪れています。

二年坂で味わえる大正ロマン
二年坂には、大正時代から続く老舗の甘味処「かさぎ屋」があり、夢二も訪れたと言われています。店内には当時の面影を残す内装や調度品があり、夢二の世界観に浸りながら、伝統的な甘味を楽しむことができます。

二年坂は、美しい風景だけでなく、竹久夢二という偉大な芸術家との深いつながりを持つ場所でもあります。二年坂を散策することで、大正ロマンの世界に触れ、夢二の足跡をたどることができます。

二年坂には、清水焼のお店や京菓子のお店などが数多く軒を連ねています。お土産探しに訪れるのもおすすめです。

お土産屋さん: 陶器や京菓子など、京都らしいお土産がたくさん売られています。

場所情報

まとめ

二年坂は、歴史と文化が息づく、魅力あふれる場所です。美しい街並み、伝統工芸品、美味しい食べ物など、見どころが満載です。京都を訪れる際は、ぜひ二年坂を訪れて、その魅力を体験してみてください。

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